ひぐらしのなく頃に 神落し編
2006/09/12_001332鷹野2
私は道端ですれ違った郵便物収集の係員をつかまえて、カバンのなかの封筒の束を押し付ける。
「じゃあ、よろしくね」
「えええ~~。ホントはいけないんだけんど……まあ、いいっか」
係員は束を車の荷台に押し込むと、軽く挨拶して走り去る。
これで、全部。
あたりを見回す。ちょうど建物の死角で、誰も見ていない。フフン、と軽く鼻歌を歌うと、弾むように歩きはじめる。
“神話”は全て私の手を離れた。複数のコピーを作り、いくつかの経路に分けて、『東京』に悟られないように慎重に解き放った。最後のコピーは急ぎになってしまったけど、何とか間に合った。
6月に全てが終わり、短くないあいだ闇の中で死蔵されたあとに、“神話”が目覚める。その時、私の“神話”はどう評価されるのだろうか? 少し想像してみる。
オカルトと狂気に満ちたホラーだろうか?
神秘に満ちた預言書だろうか?
……あるいは、この神話に秘められた真実の一つ……祖父の“雛見沢症候群”に、誰か到達するのだろうか?
…………くすくすくすくすくす
小泉のおじいちゃんが亡くなってから風向きが変わって、順調だった研究は闇に葬られることになった。小泉のおじいちゃん以外は、誰もこの研究の価値を認めていなかった。
つまらない派閥争いで、簡単に吹き飛んでしまった。
そして……今だに派閥争いの中にいる。研究の価値とは関係なく。派閥の風向きで祖父の論文は持ち上げられ、叩き付けられる。今は『主流派』に叩き付けられ、『野村』が拾った。祖父の論文の研究成果に関係なく。
……夢見る乙女ではないのだから……もう、わかっている。『野村』も祖父の論文の中身はどうでもいいのだろう。『東京』……『野村』を含めて“雛見沢症候群”の毒性と危険性をわかっているのは誰もいない。派閥争いの道具に都合がいいだけ。『東京』で“雛見沢症候群”の重要性を知っていたのは小泉のおじいちゃんだけ。その小泉のおじいちゃんも亡くなってしまったんだから、もう誰も“雛見沢症候群”を気にしていない。
……ただ、『野村』には感謝している。『野村』は、私の願いをハッキリさせてくれた。
『野村』は、私にこう囁いた。「貴方とおじいちゃんの結晶である論文を、永遠のものにしたくないですか……?」と。
そうだ。祖父の研究を復活させ、共に永遠に生き続ける。それは祖父の……そして私の夢だった。祖父は“私の死後に忘れ去られるのではなく、私が存命している内から忘れ去られた。”と遺した。私は、その苦しみから祖父を解放することが願いだった。
そして『野村』は、こうも言った。「復讐を、……きっと手伝ってあげることができると思います」と。
復讐
とても甘美な言葉。最も甘いワインよりも私を酔わせる。悪魔の吐息よりも悩ましげな誘惑。祖父の悔恨……私の憤怒を晴らす復讐。
ただ、復讐は、祖父の望みではない。あくまで私の望み。
でも……復讐という誘惑は私の心に深く溶け込み、あたかもそれが私の生き甲斐だったかのように思えてくる。
……この二つの願いは、『野村』が囁かなければけっして気付かなかっただろう。そして、わかっている。『野村』が欲しているのは“復讐”がもたらす結果だけだ、ということにも……気付いている。“祖父の復活”……祖父の論文そのものは必要ないのだ。
まあ、いいわ。途中までは手伝ってもらいましょう。『野村』なら私を痕跡なく消し去るところまで、確実にやってくれるでしょうね。そこまでは『野村』の仕事。
それに……くすくすくすくすくす……私は“神話”に仕込んだイタズラを思い出して忍び笑いをする。“神話”を残らず揃えると、漏れなくついてくる“雛見沢大災害”の真相。一つでも欠けるとまず気付かないけど、全部揃うと黒幕の悪意までハッキリと浮かび上がる奇妙なパッチワーク。
『野村』は気付くかしら?……くすくすくすくすくす……彼女はちょっと動きすぎる癖があるみたい。彼女の後ろにいるクライアントが丸見えだったわ……くすくすくすくすくす……。小泉のおじいちゃんのため、と彼女は言ってたけど、とんでもない。そんなことあるはずがない。『野村』の後ろにいる連中の顔を思い浮かべる。もし自分のものにできるチャンスがあるのなら、『東京』が吹き飛ぶぐらいのリスクはしかたがない、と言い出しかねない短絡的な……幼い顔付き。……くすくすくすくすくす……小泉のおじいちゃんがこのことを知ったら、「売国奴!!!」とか言って切り捨てかねないわね。くすくすくすくす……。
そして……“神話”を台無しにしてしまうかもしれないイタズラを仕込んでしまう自分に呆れて笑ってしまう……くすくすくすくすくす……。『野村』がもしこのことに気付いたら、それこそ必死になって“神話”を処分しようとするでしょうね。徹底的に探し出し、あらゆる“神話”の痕跡を消そうとするでしょうね。
でも、そんなことは起こらない。何だかよくわからないけど、根拠のない自信が湧き上がる。……くすくすくすくすくす……。自分は選ばれた者。『野村』ごときが私を邪魔することはできない。始めて会ったときの……私がただの小娘で、彼女が『東京』だった時はもう終わった。『野村』の手が長いことも……その片手に、自衛隊──山狗──の手綱を握っていることもわかっているが、それでも、あの間抜けな顔をした『野村』に何かできるとは思えなかった。
私はヒトを超える……神をも越える。サイコロを振る必要もない。私の前には、すでに定まった歴史──神話──だけがあった。