ひぐらしのなく頃に 神落し編
2006/10/20_015724圭一1
まだ冷たさの残る朝の空気の中、俺はパンを咥えながら家を飛び出した。今日はいつものカバンとは別に、親父が使っている大きなデザインケースを担ぐように持つ。全力で走ると、体をすり抜ける風でデザインケースが暴れてしまう。バランスを取りながらゆっくりと急ぐ。
「圭一く~ん! おっはよ~」
「お待たせ~。これだけ朝が早いと辛いね。全く。レナはどうだった?」
「大丈夫だよ。起きる時間はいつもとあんまり変わらないし。昨日のうちに支度をすませておいたんだ──それが例の?」
「そうそう。親父から『好きにしろ。どう使っても良いぞ』と許可も貰ったしな。みんな待ってるだろうから早く行こうぜ」
「うん、行こう行こう」
再び走り始める。冷たさの残る空気は相変わらずだが、横に仲間がいると心地良い感じになるのは何とも不思議だった。レナの気配を感じながら走り続ける。
「圭ちゃ~ん!!!レナぁ~~!! 遅い遅い」
道の先に人影が2人。
「魅ぃちゃん、詩ぃちゃん。おはよっ」
「ごめんごめん。見付けるのに時間がかかってさ」
と言いながら俺は背中のケースをたたく。
「それが話にあった例のあれですね?」
例のあれ、と言われると、ちょっといかがわしい感じもするが、…………そんなことはない!!
「……と思うぞ」
「……大丈夫なんだろうね!? おじさん、ちょっと心配だな」
「いや、いや、大丈夫。中身はまだ見ていないけど、親父が教えてくれたから間違いないと思う」
「あれ、圭一くんのお父さん、起きていたの?」
「起きてた。というか寝てなかったかも。なんかゾンビみたいな顔をしてたしな……」
「ありゃりゃ、無理させちゃったかな?」魅音がつぶやく。
「気にすんな。ありゃ好きでやってたみたいだからな。寝不足ハイ入っていたから、青白い顔でニタニタ笑いを浮べて……自分の親ながら不気味なものがあったな……」
「そんなことよりも、急ぎましょう。みんな待っていますよ」
それもそうだな。
「さっ、急ごっ」
独りが二人になり、二人が四人になり、俺たちは学校に続く道を走り続ける。ヒンヤリとしていた朝の空気も、仲間が増えるごとに熱気をはらむ。俺は仲間の雰囲気と足並を揃えて走り続ける。
もう、まもなく学校だ。
校舎の扉をくぐり、靴を下履に替えると、駆け足で教室に飛び込む。
「おはよう!!諸君!……今日はトラップは無しか? 沙都子」
「おはようございます圭一さん。そんな大事なものを持っている人を引っ掛けたりはしないのですわ」
沙都子はそういいながらデザインケースを奪い取ると、教室の中央に並べた机の上に置く。
「おおお!!!沙都子も分別付くようになったんだなぁ。感心かんっ」
……前言撤回。
大事なものを手放した俺を狙い澄ましたかのように、腰掛けた椅子が崩れ、踏ん張った床が傾き、バランスを取ろうとした頭にバケツが落ちてきて………………最後の特大<バカ>スタンプだけは何とか避けることができた。
「ありゃりゃ、圭ちゃん……派手にやられているねぇ」
頭からバケツを取ると……大の字で横たわる俺の顔を覗き込むようにして、魅音が側に立っていた。くそっ、最高にいい笑顔をしてやがる。
「さ~と~こ~~!! てンめえぇえぇ~~……」
「なんでございますの? 圭一さん」いつのまにか横にいる沙都子。こっちも最高の笑顔をしてやがる……くっ。
がし。わしわし。照れ隠しにちょっと乱暴に頭を撫でてやる。
「へ? なぜ撫でられるんですの?!」
沙都子の前に顔を突き出すと、笑い顔で威嚇しながらこう宣言する!
「このタイミングで仕掛けるとはさすがは沙都子……だが、これが最後だ! ……二度とかからん……!!」
「をーっほっほっほ!! 圭一さんごときでは、このわたくしのトラップから逃れることはできないのですわ! せいぜい用心なさることですわ」
そういうと、沙都子は並べた机に近付いて、上に置いたデザインケースをペしぺしとたたく。
「それではさっそく見るのですのよ! のんびりしていると、せっかく朝早く来たのが台無しになってしまいますのよ」
沙都子はそういって俺を急かす。おいおい、足止めしているのはいったい誰だよ……
「わかった、わかった。みんなそろったな?」
その声に、レナ、魅音、詩音、梨花ちゃん、羽入が集まる。沙都子は目の前で既にスタンバイ中だ。俺はデザインケースを開ける。
中には、表にカバー用のトレースペーパーが貼られた画用紙が何枚か入っている。
「これが、圭一くんのお父さんの描いたポスターなんだね」
そう、昨日はあの後、梨花ちゃん、羽入、沙都子を連れて親父のアトリエに押し掛けて、綿流し宣伝用のポスターを描いてくれるよう頼んだ。3人にモデルをやってもらったのはだいたい2時間ぐらいだったが、親父はその後も作成を続けて何枚か完成させたようだ。
「モデルといっても、みんなで遊んでいただけなのですわ」
「ボクたちは、あの部屋で散歩して踊ってイタズラ描きしていただけなのです。楽しかったのです」
「僕もアトリエに入るのは始めてだったので、とても面白かったのです」
それでも親父には十分だったみたいで、3人が帰る頃にはクロッキー帳を数冊使い切ったようだった。3人が帰ってからは、『鬼のような』というのがホントに良く似合う形相だったなぁ……
「まずは一枚目、いくか」
そう言って、俺はデザインケースから一枚取り出すと、机の上に置いてトレースペーパーをめくる。みんなの小さなどよめきが聞こえてくる。
一枚目は、パステルカラーを基調としたとても明るいものだった。巫女の衣装に身を包んだ梨花ちゃんと羽入、沙都子が、のどかで明るい雛見沢を元気良く駆け抜ける。そこに描かれた3人は、ぬいぐるみのように小さくデフォルメされていながら、3人の元気さや無邪気さをありありと描かれている。とてもほほえましく、見てるとつい嬉しくなってしまいそうな、そんな明るさがある。
「はぅ、かわい~~……」
「へぇ、圭ちゃんのお父さんって、こういう絵を描くんですか」
「絵本作家? かわいらしいね」
「ちょっと恥ずかしい気がするのですわ」「です」「です」
「俺もあまり親父の絵を見ないけど、へえぇ、こういう絵を描くんだ」
「でも、とても素敵だと僕は思うのです」
「……うわぁ、これほどの出来じゃ、生半可な印刷じゃもったいないなぁ。……タダっつうのも気が引けるし」
「まあ、いいんじゃねぇの? 親父も『雛見沢の役に立ちたい』っていつも言っていたし」
「これ一回で済ませてしまうのはもったいないから、来年は真面目に契約しようかね。その時はお友達価格でよろしく」
「印刷の方は、お母さんに頼んでグレードを上げてもらうようにしましょう」と詩音。
詩音は、このあと興宮に取って返して宣伝用のポスターとビラを作成することになっている。綿流しまであまり日が無いから、かなり大変そうだよな……。
「もっとゆっくり見たいけど、時間が無いね。次に行こうか」
その言葉を受けて、俺は一枚目を空き机に移動させる。デザインケースから2枚目を取り出すと、ゆっくりとトレースペーパーをめくる。
二枚目は、セピア調のとても落ち着いた雰囲気のもの。写実的に描かれた古手神社を背景に、これまた巫女の衣装に身を包んだ3人が並んで立っていて、招くようにほほえんでいる。ここの3人も、お人形さんのように表情が強調されていたけれども、やっぱり3人の可愛らしさや優しさが丁寧に描かれている。とても懐しく、優しい気分になれる、そんな雰囲気がある。
「はう~~。これも素敵~~……」
「これはまた……さっきのとは全然違いますね。『絵画らしい絵』というか」
「これは……キレイだね」
「綿流しのお祭りに」「ようこそおいでくださいましたでございますわ」「にぱ~☆」
「こりゃまた画家の本領発揮って言ったところだな。やるな、親父!!」
「はう~~。さっきのもかわいかったけど、こっちも素敵なの」
というところで、時計の鐘の音が遠くから割り込んでくる。もう7時だ。
「おっとっと、あんまりのんびりできないねえ」
あまり多くはないが、一部の生徒が朝早く来て授業が始まるまで遊んでいることがある。最近はビー玉が流行っているから、早い時間に待ち合わせしているかもしれない。
「その時は、羽入と遊ばせていれば良いとボクは思うのです」
「……ひどいのです、梨花。僕も絵を見たいのです…………」
「まあ、まだ大丈夫じゃねえの? いくらなんでも7時じゃまだまだ早いしな。早くても8時前ぐらいかな?」
「しかし羽入って人気者で喜ばしい限りですわ。みんな初めて会うはずなのに、みんなから“オヤシロさま”と慕われているのですわ」本当に嬉しそうに沙都子がつぶやく。
「うん、オヤシロさま──羽ぁちゃんは、いつもそばに居てくれたから。レナも知っている。たとえ見えなくても、たとえ触れることができないても、オヤシロさまはレナたちの友達なんだ。ずっと昔から」
「そうなのです。いつも一緒にいたのです。そう言って貰えると嬉しいのです。僕は色々なときに一緒にいました。僕はみんなを助けることができなかったけれど。沙都子が祭具殿に降りたときも…………」と、そこまで言って羽入は口をおさえる。口を滑らせたことに気付いたようだ。
「へえええ? 沙都子ってそんなヤンチャしたんだ?!」と魅音。
「……ボクはそのとき代わりに父親に怒られたのです」とバツが悪そうに梨花ちゃんがつぶやく。
所在無さげに肩を縮こませて俯く沙都子。とても苦しそうだけれども、感情の抜け落ちた、とても痛々しい表情。いつもの活発な沙都子からは想像もできない表情だった。壊れたマネキンのような、打ち捨てられたものの持つ悲しい表情。
その表情を見て、魅音が自分のことのように表情を歪ませる。さっきの軽はずみな発言を後悔しているのだろうか。今にも泣きそうな顔をして立っている。だけど、泣くこともできずにただ首をうなだれている。
梨花ちゃんも羽入も、同じように首をうなだれている。
教室の中が凍り付き、ただ時間だけが過ぎ去っていく。
────詩音が一歩前に出る。優しく、しかし毅然とした態度をして沙都子の前に立ち、縮こまる沙都子の手を取る。沙都子はビクッと反応するが、それ以上の抵抗はしない。
「大丈夫です。沙都子…………。ちょうどいい機会です。ここで謝ってしまいましょう」
詩音は優しく、しかし力強く手を引くと、沙都子を梨花ちゃんと羽入の前に連れて来る。
「梨花ちゃん、羽入ちゃん。多分、二人とも気にしちゃいないと思うんですけど──これもけじめです。受け取ってもらえますか?」
二人は答えない。ただ、優しい顔をして沙都子を迎えるだけだった。
沙都子が、まだ縮こまったまま、身体を震わせながら、口を開けたり閉じたりしている。詩音は優しく手を握り続ける。──そして、沙都子の身体の震えが止まり──沙都子は背を伸ばして梨花ちゃんと羽入の顔を見る。二人はほほえんで沙都子に応える。
「……ごめんなさいですわ。…………梨花にはとてもわるいことをしましたのですわ。わたくしは……とても怖かったのですわ。怖くて、足がすくんで、あのときに前に出れなかったのですわ。今さらですのけれども……謝りたいのですわ。……ごめんなさい」
次に沙都子は羽入の方を向く。
「オヤシロさまも……ごめんなさいですわ。本当につまらない好奇心からオヤシロさまの御神体を壊してしまって、…………とてもひどいことをしたと思っているのですわ」
羽入が一歩前に出て、沙都子を抱き締める。
「僕は知っているのです。沙都子がどれほど後悔して、どれほど悩んでいたか。どれほど苦しんで、だけれども誰にも言い出すことができなかったのか。僕は気にしてはいないのです。沙都子を責めるつもりはないのです。確かにあそこは僕の大切な場所だけれども──沙都子の幸せと引き換えにするほどの場所ではないのです」
梨花ちゃんも一歩前に出て──沙都子の頭を優しく撫でる。
「良く言えたのです。ボクはとても嬉しいのです。……ずっと待っていたのです。沙都子がいつかそう言ってくれるのを。──ボクから言えば良かったのかもしれないのですが、ボクも怖かったのです。ボクから言い出して、沙都子に嫌われることが──ありがとうなのです。沙都子」
堰を切ったように泣き出す沙都子。同じように泣き出す梨花ちゃんと羽入。その涙に、長い間固まっていたしこりが洗い流されていく。沙都子の不幸の一つが消え去っていく。
俺たちも、つい貰い泣きをしてしまう。詩音が心の底から嬉しそうな顔をしている。俺には、それがまた嬉しかった。
長い時間が経ち、沙都子が口を開く。
「ありがとうなのですわ。梨花も、オヤシロさまも……詩音さんも。そして、みんなも。──時間を取らせて悪かったのですわ。続きにしましょう」
俺は少し慌てながら二枚目を一枚目に重ねると、次の一枚を取り出し、トレースペーパーをめくる。
三枚目は、ビビッドで活発なイメージ。とてもポップで、マンガのようなイラストだった。左上に羽入、真ん中に梨花ちゃん、右下に沙都子がいる。そこに描かれているのは、いつもの3人であることにはかわりないのだが、感情を削ぎ落したような表情には凄みすら感じる。梨花ちゃんは色々と飾りのついた、たぶん祭事用の大きな鍬を旨に胸に抱えている。とても力強く、華やかなイラストだ。
「わあ、かっこい~~~!!」
「ずいぶんとインパクトのある絵ですね。鍬の赤がとっても映えてます」
「むむむ、これは……圭ちゃんのお父さんって、奉納演舞を見たことあったっけ? 鍬なんか、まるで見たことがあるような出来なんだけど……」
「いや? 前の綿流しに来たとか聞いていないけど? ……そういや良く出来てるな」
「そうすると、圭一のお父さんは聞いた話と想像だけで描いたのです」
「なんとまあ……芸術家というのは恐ろしいものなのですわね」
ゆっくり見ていたい気もするが、時間も気になる。少し未練を残しながら、次に行くことにした。残りはあと二枚。
四枚目は……今までのとはかなり雰囲気が異なる。全体的に暗く…………モノトーンでまとめている。とても重い雰囲気。絵の奥に伸びる、草一つない荒れ果てた参道の階段を、3人が下る。しかし、参道はどこまでもずっと伸びているわけではなく、ある所でぷっつりと途切れている。その先には何も無いはずなのに、歩みを止めない3人。振り返る梨花ちゃんの表情は、まるで俺に助けを求めているようでもあった。
みんなの表情がこわばる。これは……今までの結末。梨花ちゃんと羽入の、そして沙都子……俺たちのたどってきた道。この絵が意味する事実は、すなわち俺たちの敗北であり、破滅なんだろう。
息詰まる重みが、俺たちの両肩にずっしりと覆い被さる。
俺は沈黙を打ち破ろうと口を開けるが……何も出て来ない。虚しく唇が動くだけだった。
「──そう」
レナが沈黙を斬り裂く。
「これが前回までの梨花ちゃんたちの姿。……圭一くんのお父さんって凄いね。何も知らないはずなのに、梨花ちゃんと羽ぁちゃんの深いところを描いている」
さらに……力をこめて言葉を続ける。
「今まではそうだった。だけど……だけど、これでおしまいじゃない。確かに今まではダメだったけど、まだ、最後の一枚がある」
レナは、そう言いながら最後の一枚を取り出し、モノトーンの絵の上に重ねる。
そこに描かれているのは、校庭にいるみんなを校舎の二階から写した、集合写真代わりの一枚。職員室に飾られている写真に似ているものだった。
しかし、大きな違いが2つ。
1つは転校してきてから写真に撮られたことのない俺が含まれていること。それだけではない。鷹野さんも、富竹さんも、監督も、そして仲間たちも……誰一人欠けることなく全て描かれている。みんな、優しくにこやかに微笑んでいる。
もう1つは、みんなが成長していること。俯瞰しているため判りづらいが、その顔は大人びた力強いものになっている。
これは、俺たちの、今までたどりつけなかった──梨花ちゃんが夢にまで見た──昭和58年6月を越えた世界。平和な……何も起きなかった、今までは当たり前すぎて夢想さえしなかった世界。今は、みんなの全ての努力を持ってしても得ることができるか判らない、かけがえのない世界。
そうだな。……そうだ。
「そうだ。俺たちには『可能性』がある。前回までは俺たちが気付かなかったから……俺たちが力になってやれなかったから、梨花ちゃん独りだけの『可能性』だった。けど、今回は違うぜ。今回は梨花ちゃんだけじゃねぇ、俺たちみんなの『可能性』だ。梨花ちゃん独りの時だってあれだけのことができたんだ。俺たちが集まってできないはずがねぇ」
羽入も、魅音も、詩音も、沙都子も、レナも俺の言葉に頷く。みんなの瞳に、強い意志の力が浮かび上がる。
「────レナは信じる。今回こそは壁を打ち破れる。この絵は、現実になる」
梨花ちゃんが、最後の絵を……絵のなかの自分の姿を見つめる。なりたくて、なれなかった自分。気の遠くなるような長い時間を経ても、手に入れることのできなかった自分。
「……大丈夫だ。梨花ちゃん。今回は独りじゃねぇ。──みんなで行こう。この世界に」
俺は優しく梨花ちゃんの頭を撫でた。いつも梨花ちゃんがやっているように。