ひぐらしのなく頃に 神落し編
2006/10/21_152946鷹野1
暗闇。
灯り一つない部屋の暗闇のなか、私は膝を抱えて漂っている。
物音一つない静寂。全てが平坦な世界。私の心もまた静寂で充たされていた。
小泉のおじいちゃんが亡くなってから……激しく冷たい向かい風に身を切り裂かれ続けて、私は少しずつ体温を失っていった。冷え切った身体でさまよい続けていたけれど、もう、足掻くのも飽いてしまった。
祖父……おじいちゃんの論文の正しさを証明し、世間に認めさせる。まだまだ先はあったけど、目指すところは見えていたはずだった。協力者を得て研究組織を作り上げ、有能な人材を集め、おじいちゃんの研究に邁進した。『雛見沢症候群』の病原体を突き止め、予防法を確立し、応用技術を見つけ……追い風に乗って順調に進んでいるとばかり考えていた。
しかし、後援者だった小泉のおじいちゃんが亡くなると全てが変わってしまった。私は変わった風向きに対応することができなくて……。研究は『雛見沢症候群』の治療のみに限定され、今までの成果は破棄されることとなり、研究所も3年後を目処に解散されることとなった。祖父……おじいちゃんの研究は闇に葬られることとなった。もう、足掻くのも疲れてしまった。
祖父……おじいちゃんの論文の正しさを証明し、世間に認めさせる。
私には、おじいちゃんの論文の正しさを証明することはできたけど、世間に認めさせることはできなかった。自分は非力だった。何もわかっていない小娘でしかなかった。自分を支援する存在がいなければ、何一つ成すこともできなかった。……でも、それでもまだ、私はおじいちゃんの研究を闇に葬りたくはなかった。
今の私に取れる手段はもうない。残された唯一の手段が『野村』の持ち込んだ“終末作戦”だった。愚かだが、私のできる唯一の手段。
私は膝を抱えたまま、部屋の中の闇を見つめる。あの日から毎日やっているように、私は闇のなかに情景を描き出す。
雛見沢。虫の鳴き声一つない静寂の世界。死の世界。
学校として使用されている営林署の庭に、村人たちの死体が並んでいる。死体は広い庭一杯に並べらているが、これで全てではない。死体を満載した自衛隊のトラックが時折この営林署に入ってくる。この光景は……これから私が作りだそうとする光景。────しかし、私の心はまったく揺らがなかった。
深夜。草木も眠りについた深い平穏の世界。
雛見沢の住民は『火山ガスで雛見沢が孤立した』という報を信じて、学校や市民会館、公民館に避難している。窓や扉の隙間は、住民たちの手によってガムテープで塞がれている。心配そうな顔をして、疲れ果てて座り込む住民たち。深夜だというのに眠ることもできない。その中には、診療所で良く会うお爺ちゃんやお婆ちゃんの顔も含まれる。ひっそりとしたざわめきに包まれる教室。
滅菌という名の虐殺が始まった。扉から投げ込まれる致死性ガス。崩れるように倒れ込むお爺ちゃんやお婆ちゃん。ざわめきは悲鳴に変わるが、それも一瞬のことだった。すぐに訪れる沈黙。……こうして、今回は静かに虐殺が終わった。部屋の中を埋め尽くす死体。診療所で良く会うお爺ちゃんやお婆ちゃんも、呆けた顔をして倒れている。これから私がもたらそうとする虐殺。その光景を、私は目の当たりにする。────しかし、私の心はまったく揺らがなかった。
夜半前。虫たちのざわめく狂気の世界。
古手神社の賽銭箱の上に、何一つ纏わずに横たわる梨花ちゃん。今回は、なぜか梨花ちゃんは睡眠薬で眠らずに、怒りの形相で私を睨み付ける。だけど、身動き一つできない梨花ちゃんにできることはここまでだった。
梨花ちゃんの周りに群がる山狗たちが、大きな刃物を使って巧みに梨花ちゃんの腹を縦に斬り裂く。『綿流し』が始まった。丁寧に、だが大胆に梨花ちゃんを開き、中の臓物を賽銭箱の前に広げていく。梨花ちゃんは痛みに悶えていたが、まだ生きていた。『私』という名の狂人が、けたたましい声を上げて笑い続ける。梨花ちゃんは長い間身を海老のようにくねらせていたが、やがて痙攣し始め、そして死んだ。狂人に堕した『私』は笑い続ける。────しかし、私の心はまったく揺らがなかった。
昼の少し前。外界の喧騒から隔絶された秘密の世界。
入江診療所の地下。雛見沢から切り離されたこの世界のなか、入江は震えて座っていた。私は、白黒の監視カメラに残された入江の様子を観察する。
『山狗』をとりまとめる小此木が、入江の境遇を同情するような顔をしながら、優しい声で入江に話し掛ける。入江はイスに腰掛け、目の前のテーブルをただ見つめている。小此木は立ち上がり、部屋の中を歩き始める。入江は、その小此木の動作にビクつきながらも、視線をテーブルに落としたまま小此木の方を見ようとしなかった。 語り掛け続ける小此木。その言葉が途切れたと思ったら、小此木は入江の背後から裸絞めをしていた。入江の抵抗は一瞬で終わった。小此木は、意識を失った入江に手早く拘束具を付けると、錠剤とブランデーをテーブルに並べる。
入江の口のなかに錠剤を入れる。呼吸のタイミングを見計らってブランデーを流し込むと、入江は咳こむようにしながら飲み込んだ。小此木はそれを何回か繰り返す。そのたびに入江が咳こんで暴れるが、目を覚ますことはなかった。入江の顔が、最初は白く、すぐに黒く変わり、最後には力なくテーブルに俯せになる。部屋に何人か入ってきて、ブランデーと錠剤、そして入江を運び出す。
この時、私はブラウン管越しに見つめる『私』の視線に気付いた。ブラウン管に写る『私』は、不自然なまでに口元を吊り上げて嗤っていた。入江という、才能はあるが愚かな裏切り者の破滅を『私』は嗤っていた。『私』の嗤いは醜く傲慢で、見るものに不快を与えるものだった。『私』が嗤う姿を私は見つめる。────しかし、私の心はまったく揺らがなかった。
夜。綿流しの終わったあとの、鬼が現れるまえの世界。
入江診療所の会議室。私の恋人──ジロウさんが『山狗』に組み伏せられている。私の恋人だったジロウさんを見下ろす『私』。ジロウさんは『私』の裏切りに驚愕と憤怒の表情を浮かべる。『山狗』がジロウさんを眠らせるのを、『私』は笑いながら見続ける。意識を失うジロウさん。『私』はジロウさんの喉元に毒薬──H173──を注射する。
部屋を連れ出され、私の車のトランクに押し込められるジロウさん。『私』はジロウさんとの最期のドライビングを前に、ジロウさんの死に様を想像する。道の片隅に横たわるジロウさん。その顔はやがて鬼の形相になり、近くにたまたまあった棒を掴んで振り回す。いるはずのない『山狗』から逃れようと、いるはずのない『私』を追い求めて。だけど、それもすぐ終わる。ジロウさんの身体を這い回る『雛見沢症候群』が許さない。ジロウさんは汗の滴り落ちる顎に手をやると、そのまま喉に爪を突きたてる。柔らかな喉の皮は簡単に千切れ、汗にかわって血が滴り落ち始める。喉を斬り裂く痛みを上回る痒さが、ジロウさんを支配する。滴り落ちる血はやがて奔流となり、ジロウさんの顔から生気が急激に失われていく。しかし、半ば死体となりながらも未だに喉を掻き毟りつづける。それは寄生虫に支配されたカマキリのような姿だった。やがて、長い苦痛の果てに、ジロウさんはようやっと頚動脈を見つけ出して、引き千切る。これで、ジロウさんは狂気から解放されるはずだったが……その鬼の形相が消えることはなかった。『私』は鬼のまま逝ったジロウさんを見つめる。────しかし、それでもなお、私の心はまったく揺らがなかった。
私の願いは……おじいちゃんの研究を闇から救いあげること。私の目に入るのは、ただそれだけだった。私は立ち上がり、部屋の闇のなかに散らばるおじいちゃんの論文を拾い始める。おじいちゃんの論文を掴む手は、血塗れだった。血で汚れた私の手で、おじいちゃんの論文が汚れる────しかし、それでもなお、私の心はまったく揺らがなかった。
たとえ私が暗闇に堕ちようとも、たとえ私の願いが誰にも──おじいちゃんですら赦すことのできないものだとしても、…………私は自分の想いに殉ずることを願っていた。
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