ひぐらしのなく頃に 神落し編
2007/01/04_012332梨花1
ボクの心が火照る。
昼の興奮が体から抜けない。布団で横になっても、目が冴えて一向に眠れそうにない。
ボクは毛布を剥ぎ取り、立ち上がる。いつのまにか部屋にもボクの熱気が籠っている。気持ち良さそうに眠る沙都子には悪いと思ったが、窓を半分ほど開けてそのまま窓辺に腰掛ける。
すうっ、と入り込む夜風の冷たさが、とても心地良い。沈みかけの半月が、ボクと沙都子を優しく照らす。
「羽入、起きてる?」
暗がりから、羽入が現れる。ボクの顔を見ると、安心したように微笑む。
「ここにいるのですよ。──眠れないのですか?」
「ええ、そうよ。──もし羽入が良ければなんだけど──寝付きが良くなるように、ちょっと一杯愉しもうかと思って」
羽入が困ったような顔をして言う。
「本当は良くないのですが……今日はたくさんのことがありましたし」
「ありがとう、羽入」
ボクは押し入れからワインを取り出すと、ほんの少しだけグラスに注ぐ。例によって大部分が水になるように、グラスを水で満たす。
「今日は、本当に驚いたのです」
「そうね。こんなことは初めてだわ」
ボクは再び窓辺に腰掛けると、沙都子の顔を見る。幸せそうに眠る沙都子。つい、顔がほころぶ。
「でも、当然なのかも知れないのです。……これが最後なのですから」
羽入がつぶやく。固い、とても固い表情。
「……そう、なのね」
「そうなのです」
「そう……ありがとう、羽入」
ボクは、なぜだかわからないけれど羽入にお礼を言った。羽入は驚いたような顔をしてボクを見る。ボクはちょっと嬉しくなって、羽入にほほえみかける。羽入も、少し照れたようにボクに微笑み返す。
「そうね……それじゃ今回は慎重に……そして大胆に行かないとね。──死んだあとにあんなことが起きるとは思ってもみなかったわ」
羽入の顔が曇る。ボクは羽入の表情の変化に気付かない振りをしながら、グラスを口に運ぶ。
多分、羽入はボクが殺された後に行われる大虐殺を知っていたのだろう……と思う。
羽入が辛そうな顔をして黙り込む。
人の手によって行われる、自分の手の及ばぬ所で自分の名の許で行われる惨劇。それはとても滑稽で悲しいことだけど、羽入はそれをボクに語ろうとはしなかった。それは、ある意味ではボクのためだったのだろう。
「わかっているわよ……何回も殺されて死に慣れているけれど、そうそう味わいたいものではないわ」
そう、雛見沢の大虐殺を防ぐのはけっこう簡単なことだ。それは詩音が実践してくれた。
鷹野の目に触れないようにして命を断ち、そのまま死体が発見されないようにすればいい。自衛隊の雛見沢殲滅作戦は、ボクが死んだ後何事もなく48時間経過すれば実施されることはない。しょせん、ボクの死んだ後に雛見沢住民が暴徒化するというデタラメの上で成り立っている作戦なのだから、その前提が嘘だということを証明すればいい。
しかし、ボクは聖人君主じゃない。みんなと一緒じゃなくちゃいやなんだ。ボクが犠牲になってなんていやなんだ。誰一人欠けることなく…………富竹、入江──鷹野ですら欠けることなく…………そこまで考えてつい吹き出しそうになる。ボクは何でそんなことを考えているんだろう? 鷹野は敵じゃないか。ただ6月を生き残るのでさえ難しいのに、なぜボクは鷹野まで助けようという無謀なことをしているんだろう?
……何となく感じる。それはボクが鬼と人に和をもたらすオヤシロさまの生まれ変わりだからという訳ではない。そんなことはない。ボクはそんなに大した人間ではない。
何とも言葉にしづらいけれど…………これはボクなりの復讐なのだと思う。
そう、復讐。この滑稽な惨劇に対する──復讐。ボクに100年の絶望をもたらした惨劇に対する復讐。今までの惨劇が馬鹿らしくなるぐらい能天気な大団円を手に入れて、ボクはこう宣言するんだ。『そう、何もなかった。惨劇なんて無かった』
羽入が横で心配そうな顔をしている。
「大丈夫よ。今回はこれだけ条件がいいんですもの。きっと上手く行くわ」
「……確かに今回は恵まれていますが、悪い条件もやはりあるのです。──梨花は気付かないのですか?」
私は黙り込む。何となく気付いているが、口に出して言うことができない。
「『この梨花』は、諦めていた梨花です。怠惰に無気力に生きていた梨花なのです。努力をしなかった梨花なのです。──わかりませんか?」
「………………何となく気付いていたけど、やっぱりそうなのね。身体が馴染まないせいだと思いこもうとしていたけれど、そんな甘い話じゃないのね」
こうずばり言われると、認めざるを得ない。『この梨花』は、たぶん、今まで生きてきた『梨花』の中でも、最も未成熟な身体をしている。つまり、今まで怠惰に生きてきた『この梨花』の運動能力はかなり低い。それに、もっと悪いことに、未成熟なのは身体だけではない。脳──知能もまたかなり未成熟だ。
心自体は、確かに100年を生きてきた『ボク』だけれども…………結局のところ心は脳や身体に縛られる。100年生きたとしても、しょせんボクは未成熟な幼い子供でしかない。思考に霞がかかる。身体に力が籠らない。まるで水中にいるように空気が手足にまとわりつく。
まったく。怠惰に十数年生きてきたバチが当ったというのだろうか……
「大丈夫よ。今までだって変わらないわ」
そうボクはつぶやく。まるで自分に言い聞かせるように。大丈夫、大丈夫。きっと上手くいく。
だけど、上手く行かなかったときは?
ボクは安らかに眠り続ける沙都子の寝顔を眺める。とても愛らしい、とても心安まる。
ボクの大切な友だち。
上手く行かなかったときは……上手く行かなかったときは……わかっている。わかっている。その時は決断するときだ。無謀な復讐に身を委ねた代償として、独りで鬼ヶ淵に沈めばいい。
その時、沙都子はとても悲しむかもしれないけど、慰めてくれる仲間が残る。沙都子を治療してくれる入江も残る。いないのはボクだけ。たぶん大丈夫。
羽入は最後だと言っていた。もしそんな結末になったら羽入はとても悲しむかもしれないけど……ボクの全てが終わることになるけれど……だからこそ、沙都子にはボクの分も幸せになってほしい。
「大丈夫よ。きっとうまくいくわ」
悲しそうな瞳をしている羽入に、ボクは優しく囁きかけた。