ひぐらしのなく頃に 神落し編
2007/01/07_012357富竹1
息が切れる。いつのまにか、背中を流れる汗が止まらなくなっている。
これでも訓練は欠かさずにやっているんだけどなぁ。つい、ボヤきが出てしまう。
立ち並ぶ樹々で視界の利かない山の斜面を、僕は中腰の姿勢で前に進む。所々にある危険な罠が、ひどく僕の精神を疲れさせる。
ここは裏山。梨花ちゃんと沙都子ちゃんの造り出した結界の中。
この先に、目的の地はあるはずだった。しかし、どんなに前に進んでも決して辿り着くことのないような、そんな不吉な予感もあった。僕は不安になる。僕は、何か大事なものを見失ってしまっているのだろうか。前に進みながらも、何か見落していないか振り返って確認したくなる衝動に驅られる。
目の前に、ふっ、と小さな人影が現れる。……その姿を見ても心が安まらないのは何故だろう?
「富竹、遅いのです……大丈夫なのですか?」
「まあ、………まあ……、おまたせ、梨花ちゃん……。なんとか、おいつけたね………」
僕は前屈みの体勢のまま、梨花ちゃんを見上げてそう言う。この薄暗い林の中を、風のように駆け抜けた梨花ちゃん。この裏山では、僕はただの図体のでかいウスノロでしかないわけか……。
「あと少しなのです。がんばるのです」
そういうと、梨花ちゃんの姿が陽炎のように朧げになり、ふっとかき消える。
心に湧き上がる焦燥感。僕はあえてゆっくりと深呼吸すると、再び前に進みはじめる。
……やれやれ。梨花ちゃんに誘われて裏山に来たのは失敗だったかな? 「気晴らしになるのですよ。たぶん、いい写真が取れるのですよ。にぱ~☆」とは言っていたけれど、この苦労に見合う成果があるとは思えなかった。それに、やっぱり、あの鷹野さんの様子も気になる……『ひとりになりたいの』とは言っていたけれど、あのまま行かせて良かったのか……やっぱり、ここに来たのは失敗だった。
しかし、そう悩む僕を尻目に、事態は確実に過ぎ去っていく。
ついに、目指す目的地に着いたようだ。樹影の濃い一角に隠れるようにある古井戸。そこに梨花ちゃん…………と、沙都子ちゃんがいた。
「梨花、さきほど見回しましたのですけど、人影はありませんでしたのですよ」
奇妙なことを言う。こんな危険な山奥に誰が来るというのだろうか?
「ありがとう、沙都子。……富竹、この先なのです。一緒に行くのですよ」
梨花ちゃんはそういうと、躊躇せずに古井戸の中に潜っていった。沙都子ちゃんは辺りを警戒している。その態度は、ひどく僕を不安にさせる。こんな山奥の古井戸に誰が来るというのか? それに、僕たちがここにいることを知られて、誰が困るというのか?
古井戸を覗き込む。意外と頑丈そうな鉄の梯子が、古井戸の奥深くまで伸びている。その先は、古井戸を満たす深い闇に飲み込まれ、確認することができない。
と、闇のなかから突然明りが現われ、古井戸の闇のなかに梨花ちゃんの顔が浮かんだ。
「富竹、ここまで下りてくるのです」
にこやかに笑う梨花ちゃん。僕はその笑顔になぜか気圧されながらも、うながされるまま古井戸に入り込んだ。思った通り、鉄の梯子はがっしりとした手応えを返してくれる。それでもなお心のどこかで怯えながら、僕は古井戸の中を下りていく。
ようやっと、梨花ちゃんの顔の目の前まで辿り着く。そこには、上からは見えないように上手く偽装された横穴があった。僕は足元に気を付けながら横穴に降りる。横穴には微かに明りがあり、ボンヤリながらも回りを確認できる。
僕が横穴に降りるとすぐに、今度は沙都子ちゃんが横穴に降りる。僕は沙都子ちゃんの腕を掴むと、少し乱暴に引き寄せる。
「ありがとうございますのですのよ」
「いやいや──それにしても、とんだ秘密基地だね」
「あと少しなのですが、まだ少しあるのです」
梨花ちゃんが僕を促す。僕はかぶりをふると、それに応える。
「わかったよ、梨花ちゃん。先を急ごう」
その先に、何か……梨花ちゃんがわざわざ僕を連れてこなくてはいけない何か……がある。
禁断の儀式に向かう参拝者のように、深い沈黙の中、前に進む。梨花ちゃんに導かれ、沙都子ちゃんに護られながら。
再び、深い縦穴に突き当たる。どうやらここも井戸のようだ。同じように梯子がついている。ただ、こちらは梯子までしっかりした板が渡されているので、少し安心して上ることができる。入るときと同じように梯子を掴み、ゆっくりと上る。
上りきっても、外に出ることはなかった。薄暗い牢屋の前……いや、牢屋の中だろうか? まだ地下にいるようだ。ヒンヤリとした、少し肌寒いぐらいの空気が淀む。
沙都子ちゃんが上ってくるのを手助けすると、横穴の時と同じように、梨花ちゃんに導かれ、沙都子ちゃんに護られて先に進む。
ちょっとした広間にたどりつく。
そこで、思いがけない笑い声を耳にした。
「んっふっふっふ!! これは珍しいところで珍しいお人に会うものですね!」
「ようこそいらっしゃいました。富竹さん」
そこには大石さんと詩音ちゃんがいた。その意外な取り合せに驚く。この二人は去年の悟史くんの件で仲違いしていなかったか? いつのまに仲直りしたのだろう?
それだけではない。魅音ちゃん、レナちゃん、圭一くん、入江さん、そしてもう一人見知らぬ人──赤坂さんと紹介があった──が集まっている。僕は入江さんに席を進められるまま、ゆっくりと腰を下ろす。思いもかけないほど疲れていたようだ。腰を掛けるとひどく身体が休まるのに驚いた。
「羽入はちょっと席を外しているけど、時間も無いし始めるか」
と魅音ちゃんが言う。どうやら、みんなは僕のことを待っていたようだ。魅音ちゃんが言葉を続ける。
「富竹さん。途轍もない話で信じられないかもしれないけど、あまり騒がずに聞いてほしい。──まずは認識合わせから始めようか」
魅音ちゃんは前置きをすると、途轍もないことを語り始める。『雛見沢症候群』のこと、『東京』のこと、『入江機関』のこと……僕は乾いた笑いしかできなかった。それだけではない。『入江機関』と『東京』の反目や、3年を目処とした研究廃棄のことなども魅音ちゃんの口から出てきている。
何ということだ……。僕は入江さんを睨み付ける。入江さんは“知らない”とでも言いたげに肩を竦める。
それとも、魅音ちゃんは自力で情報を集めたのだろうか? ……小此木のやつ……何が“園崎家は何も知らない”だ……。最近の状況まで情報ダダ漏れじゃないか……。
「──と、こんなもんかな? ちなみに、大石さんと赤坂さんとは他言無用の紳士協定を結んでいるから安心して。あくまでもここだけの話」
「問題ないですよぅ。いや、ホントは問題なんですけどね。……残念ながら、誰を信用できるかということもハッキリしていないわけで。うちの署のどこに関係者がいるのかもわからない。どうやらとてつもない組織みたいですからね。んっふっふっふっ!!」
いつのまに園崎家と大石さんは手打ちをしたのだろうか……。いつまでもダム抗争を引きずっていた今までの両者からは思いもつかない光景が目の前にある。
魅音ちゃんが言葉を続ける。
「まあ、それどころじゃない状況に追い込まれているというのが本当のところだけどね。富竹さんも知っているでしょう? 『滅菌作戦』のこと」
驚きのあまり椅子から立ち上がる。
急に立ち上がったためか、立ちくらみで視界が歪む。……魅音ちゃんの笑顔が歪む。みんなの笑顔が歪む。
梨花ちゃんが心配そうな顔をして僕を見る。
「顔色がわるいのです。大丈夫なのですか?」
「あぁ……ああ、大丈夫だよ。大丈夫」
僕は再び腰掛ける。大丈夫……大丈夫なんかじゃない。『滅菌作戦』は極秘の分類の情報だ。その内容は厳密に管理されているはずだ。魅音ちゃんのような一般人が知っているはずのない情報だ。
『雛見沢症候群』廃棄のきっかけの1つとなった、今となっては存在すらも許されない『滅菌作戦』。その秘中の秘がここで語られている。なぜだ? 何があったというのだ?
「──と、……本当に大丈夫、富竹さん?」
魅音ちゃんの妖しい笑い。その歪んだ笑い声に、僕は現実に引き戻される。
「大丈夫……いや、ちょっと待ってくれ……」
僕は手で顔を拭うと、大きく深呼吸する。──こんなに動揺してしまっては、『滅菌作戦』を──魅音ちゃんの今までの話を肯定しているようなものだ。だが、僕は自分をコントロールできなかった。
仕切り直しのつもりで、もう一度深呼吸する。
魅音ちゃんが再び話を続ける。
「もちろん、富竹さんや『東京』と敵対するつもりはないよ。何だかんだ言っても雛見沢のために働いてくれたんだし、それに『雛見沢症候群』を兵器として利用しようという話も無くなったんだ。これからも仲良くやっていけると思う」
そうだ。今の『東京』の方針は雛見沢に害をもたらすものではない、と思う。『雛見沢症候群』という危険な奇病を、誰にも知られることなく根治する。これは雛見沢住民の利益になることだ。『東京』は雛見沢に興味を持っていない。根治までの費用、期間、人材は勝ち取った。このまま進めば何事もなく終わるだろう。何事も無ければ。
「でも、今の平和は長くは続かない。残念だけど、今の状態を好ましく思わない人物がいる。『東京』にも、雛見沢にも」
これには少し首を傾げる。確かに、長い間長老として君臨していた小泉さんの死によって、『東京』内部の勢力関係は大きく変わった。いくつかの派閥の抗争が表面化し、現在の主流派と旧小泉派、そしてその他の傍流が主導権争いを繰り広げていた。今は主流派が主導権を握り、小康状態になっている。
しかし、今となっては『雛見沢症候群』には関係の無い話だ。『東京』内には、『雛見沢症候群』に興味を持つものは誰もいない。結局、小泉さん一人だけだったのだ。『入江機関』の廃棄自体は、『東京』の誰もが認める既定方針でしかない。
これを望まないのは、鷹野さんただ一人………………そこまで考えると、背中にぞくりとしたものが走る。
「──今の、『主流派が主導権を握った小康状態』を望まない人がいる。おじさんたちはこれを『東京の転覆派』と呼んでいるんだけど、彼らは主流派の足元を掬うためのシナリオを用意した。『悪魔の脚本』を」
顔を流れる汗が止まらない。魅音ちゃんの顔付きが変わっている。冷たい、透き通った瞳。これが、全てを見渡すという鷹の目だろうか。僕はその瞳をまともに見ることができない。流れる汗が止まらない。
そこまで言われて、さっきの『滅菌作戦』の繋がりが見えてくる。
確かに、鷹野さんは、……確かに現在の状況を望んでいない。…………でも、まさか、そんな……。いや、そんなことはない……『滅菌作戦』を遂行したあとに『入江機関』が、『雛見沢症候群』の研究が生き残るとは思えない。研究対象である雛見沢自体を消去して、何を研究するというのだろうか? ひどい冗談にしか聞こえない。
……そう、まるで鷹野さんが『雛見沢症候群』と無理心中をしようとしているようではないか。5年目の祟りにしても質の悪い話だ。存続のために奔走していた鷹野さんが、そのような凶事に簡単に手を染めてしまうだろうか?
僕の力では3年の猶予しか得ることができなかったが、全てを諦めるにはあまりにも早過ぎる。……鷹野さんはそんなにも弱かったのか? ……そんなはずはない……鷹野さんは強い人だ。そんなはずはない……。
しかし、……あの、祭具殿で泣き叫んだ鷹野さんの姿が思い浮かぶ。可哀想なほど弱々しく、疲れ果てた鷹野さん。ピンと張った糸が切れてしまったような……あれもまた、鷹野さんの本当の姿ではないのか……?
僕の心を見透かしたように、魅音ちゃんが言葉を続ける。
「おじさんも、鷹野さんが自暴自棄で『滅菌作戦』を発動させようとしているとは思えない。何か深い理由があるんだと思う。ただ」
そこまでいうと、魅音ちゃんは僕の瞳を覗き込む。鷹の目が、僕の瞳を刺し貫く。
「すでに『悪魔の脚本』は始まっているんだ。……ちょうどいいところに来たね。羽入」
魅音ちゃんは僕から視線を外すと、広間の入口に視線を送る。僕も魅音ちゃんの視線に引きずられて、広間の入口にいる人物を注視する。
見慣れない制服を着た、どことなく古風な印象を受ける女の子。ああ、そうか。と思った瞬間に、そう思った事実に胸を鷲掴みにされる。
流れる汗が止まらない。胸の動悸が収まらない。
手足が痺れる。地面がぐにゃりと歪む。
彼女は……そうだ……いや、…………そうだ……
オヤシロさま……だ。
いや、……なぜ僕にわかる……? 彼女とは初対面のはず……今まで会ったこともない。それに、オヤシロさまはこの雛見沢を守る氏神ではないか……なぜ、この少女がオヤシロさまなのか……自分でもわけがわからない……。しかし、自分の奥深くの部分が、“彼女はオヤシロさまなのだ”と囁き続ける。
「大丈夫? 富竹さん」
魅音ちゃんが耳元で囁く。全てを見通す鷹の目で、魅音ちゃんは僕を見続ける。口元を歪めて、軽く嗤いを浮かべている。
「……大丈夫……大丈夫」
僕は何とかそう応える。汗だくの手の平で、汗だくの顔を拭う。
……これは……、一体何なんだ……。ここは……一体何処なんだ……。一体全体……何が起こっているんだ……。
「富竹さんも、わかるでしょう? ──彼女は羽入。かつては『オヤシロさま』と呼ばれていた。いや、今もそう呼ばれている」
羽入と呼ばれたオヤシロさまは…………どことなく古風な立ち振る舞いで、……僕におじぎをする。
僕にはオヤシロさまのことがわかる……いや、わかるはずがない……。その神々しさに僕は親しみを感じる……いや、わかるはずがない……。なぜわかるのか……いや、わかるはずはない…………そんなはずはない……
「もう、わかっているみたいだけど、落ち着いて良く聞いてほしい。富竹さんも『雛見沢症候群』の──感染者なんだ。今回の来訪で感染したんだと思う」
そんなはずはない…………僕は予防接種を受けている…………鷹野さん…………が、予防薬を注射してくれた。…………今までも感染しなかった……今回も感染しない……はずだ。そんなはずはない…………そんなはずはない…………
「羽入が『オヤシロさま』だってわかったよね。それがわかるのは雛見沢の住民──『雛見沢症候群』の感染者だけ。『雛見沢症候群』の感染者──主に年寄りだけど──が梨花に『女王』を感じて敬うのと同じなんだ」
…………一体、……何を言っているんだ……? 僕は確かに予防接種を受けている。……受けているはずなんだ……。鷹野さんに注射してもらったはずなんだ……。
それなのに感染しただなんて、……それではまるで鷹野さんが……僕を感染者にするために……いや、そんなことはない……そんなことはない……ソンなことはない……ソンナコトハナイ…………
僕は、ゆっくりト椅子かラ立ち上がる。
確かメなくては、鷹野サんに。
すがりつこうとスル魅音ちゃんを振り払う。魅音ちゃんハ、不意をつかれたようにバランスを崩すと、ソノまま部屋の端まで転がる。
ソンなコトに構ってイル場合ではナイ。すぐにデモ鷹野さんに会ワないと
大石さんが、横から掴みカカる。邪魔ヲしないでクレ。腰を落としテ大石さんの足払いを耐えると、さらに腰を落とシテ組み手を切る。腰に組み付いてリフトする。投げ捨テる。大石さんハ十分な受け身ヲ取れず、そのままウずくまル。
これデ邪魔者ガ減っタ。回りを見回す。倒れている人を助けおこしている人、遠巻きに事態を見守る人。もう、僕ヲ邪魔するモノはイナい。
いヤ…………、一人イル。赤坂……トイウ男が、ボクノ前に立ち塞がル。
赤坂ガ半身に構エる。
僕は腰を落とシて間合イを取る。
ナカナカやル……僕はそう感ジタ。
勝負は一瞬。僕は慎重に間合イを取る。赤坂ハ、僕を逃さなイよう、扉を背後に位置取りヲする。ボクはそれを利用スルことにシタ。広間の片隅に敷かレテいるビニールシート。間合いを取りナガら、僕は赤坂をビニールシートに誘導スル。
赤坂がビニールシートに到達したトキが勝負ダ。ビニールシートに足を載せれバ踏ん張りが効かなクなる。ビニールシートを蹴り剥せばソノ瞬間隙がデキル。ただ除ケルだけでもビニールシートが赤坂の足に絡み付く可能性があル。赤坂がどう動くのでアレ、チャンスを造ることガできル。
僕の意図に気付かれないよう、慎重に赤坂をビニールシートに誘導スル。あと少シ……
今だ!! その瞬間、ありえナイ所に重みを感じる。腰に纏わり付く感触。タックルを行おうと動き始めた身体が、その違和感に躊躇する。
クソ!! 僕はソレを掴み赤坂に投げ付ける。腰から引き剥がされた圭一くんガ、真っ直ぐに赤坂に向かっテ飛んで行く。僕は勢いを殺さずに圭一くんを追う形で赤坂にタックルを試みる。
しかし、……まるデ手品か曲芸を見ていルようだ。赤坂は動じるこトなく圭一くんを受けとめると……いや、圭一くんが、スり抜けるように──まるで流水に流される落ち葉が岩を軽やかに躱すように──赤坂と入れ替わル。すさまじいまでの体捌き。
僕はその事態に対応できなイ。身体が危険を感じタが、タックルの勢いガ殺せない。僕はさラに加速しテ万が一の幸運に賭けル。
赤坂の膝が飛んでクる。辛うじて打点ヲ外し、額で太腿を受けル形にするが、タックルの勢いハ完全に死ンだ。上体が浮キ上がる。
終わりダ……僕は打撃に備えル。心臓を貫く衝撃。そノ一撃が僕の意識を奪イ取る。
一体、何が起きテイルんだ。……鷹野……さん……
……………………
…………