ひぐらしのなく頃に 神落し編
2007/01/15_234536茜1
「母さん、なにやってるの~。遅~い、お~~そ~~い~~~~」
ええい、わかったよ、わかった。そんなに急ぐことはないだろうに。あの子は何を慌てているのかね?
「詩音、し~お~ん~~。お墓の前で騒ぐんじゃないよ!!! 他の方々に迷惑だろう!!」
といっても、今は早朝。辺りには誰もいない。
はぁい、と遠くで応える声がする。まったく、あの子のお転婆振りは変わらないね。最近じゃ憎々しい振舞いも増えてきた。ほんと、誰に似たんだか……
ゆっくりと、墓に続く階段を昇る。朝早くの澄み切った空気が辺りを満たす。とても心地良い。
今日は6月18日。綿流しの前日。祟りで犠牲になった方々の命日の前日。本当なら明日お参りするのが筋だけど、流石に命日は……ねえ? あたしはヤクザ者だし。それに明日は祭の当日。あたしらも、それこそ猫の手を借りたいぐらいに忙しくなる。
まあ、普段は律儀にお参りするほど信心深くはないけどね────他のお墓はうちの法要の日にまとめてお参りするし。ただ、この日だけは特別だ。
綿流し。
雛見沢で重要な意味を持つ祭。もちろん、縁日の露店を取り仕切るあたしらにとっても書き入れ時だ。子供っぽい話だけど……あたしも綿流しが近付くとガラにもなくワクワクしてくる。ホント、ここまで大きな祭になるとは思わなかった。一昔前はただの呑み会だったんだけどねぇ。
そして、綿流しは…………、オヤシロさまの祟りの日でもある。
……………………あたしは、…………それぞれの事件が繋がりの無いものだということに、何となく気付いている。
1、2年目の事件は本家とは関係ない。うちの鬼婆さまは、そんな愚かな危険を犯さない。1年目の事件なんて、下手すればせっかく引き寄せた世論を一気に敵に回す、ダム反対派を武力鎮圧する切っ掛けになりかねないヤバい事件だ。とてもじゃないがダム反対派ができることじゃない。2年目の事故だってたまたまだ。綿流しを嫌って出掛けた旅行先で事故にあったというだけの話だ。園崎に敵対するものを排除した? 馬鹿馬鹿しい。ダム戦争の大勢が決したあとの話だ。北条家に何の危険がある。見せしめにする価値もない。危険を犯すまでもない。もともと外に出たがっていた北条のことだ。ダム戦争の余波が収まってから、北条に気付かれないように割の良い仕事を斡旋して雛見沢から引っ張り出せば、八方丸く収まる……はずだった。
3年目の神主さんの死だって、………………前の事件と関連あるわけじゃない、と思う。神主さんもとても疲れた様子だったし……。奥さんの失踪も……あの錯乱した姿を見ると納得がいかないわけでもなかった。
しかし────4年目の事件はまずかった。
あれは明らかにオヤシロさまの祟りに便乗したもの。……“オヤシロさまの祟り”が……ついに実体化してしまった。“オヤシロさまの祟り”が、雛見沢の住民の心に深く根を下ろしてしまった。
雛見沢の住民が“5年目のオヤシロさまの祟り”について噂をしていることは知っている。北条の娘、よそ者のカメラマン、入江診療所の奇妙な看護婦、……何と梨花ちゃまと村長まで祟りの候補になっている。
何とも、不味い状況だ。
言葉は言霊。噂をすればするほど、噂を受け容れる土壌ができてしまう。噂が実現するかもと期待してしまう。……自ら“5年目のオヤシロさまの祟り”を引き寄せているようなものだ。何とも愚かな行為。
うちの鬼婆さまも──他の連中と同じように──オヤシロさまの祟りを恐れている。…………いや、鬼婆さまはもっと早い段階から、たぶん……工事現場監督の事件の時から、オヤシロさまの祟りに囚われていた。……大丈夫だと思ったんだけどねぇ。あれは平静を取り繕っていただけだった、つうことか。鬼婆さまは『園崎家』として立場にこだわって、厳格な支配で秩序を取り戻そうとした。
本当ならば『古手家』がオヤシロさまの代理として雛見沢に和解をもたらす役割だったんだけど……。大きく偏っていた御三家の力関係、そして『古手家当主』たる古手夫妻の病死と失踪……。御三家で保っていた雛見沢の秩序は大きく崩れてしまった。『園崎家』もまた──鬼婆さまもまた──、秩序が崩れてしまったことに気付いていながら、それでもなお御三家の役割にしがみついている。雛見沢の秩序を守るために。──なんと言う皮肉か。
ふう、と溜息をつく。
「おや……」
つい、声を出してつぶやいてしまう。工事現場監督の墓の前。どうやら先客がいるようだ。先に到着していた詩音があたしに道を譲る。
「………………これは、……これは。…皆さんもどなたかのお墓参りですかな?」
そこには大石がいた。ふん、いやなところを見られたモンだね。
「おやおや……。あんた、勤務中じゃないのかい? 悪いお人だねぇ、まったく」
詩音に手に持つ花を渡す。今年に限って何で今日この時間に来るんかね。明日来るモンとばかし思っていたのに。わざわざ早い時間に来ている意味が無いじゃないか。
詩音が花を受け取る。どこか戸惑った風を装っていたが……受け取って振り返るときに浮かべた笑みをあたしは見逃がさなかった。
……ふん、これはあんたの仕込みかい。詩音。
「………ほら、いつまでもお墓の前で突っ立ってんじゃないよ。そこをおどき」
あたしは八つ当たり気味にそう言うと、大石を押し退けるように墓前にしゃがむ。
「………まさか、あんたが毎年、おやっさんに紫陽花を?」
大石が詩音の持つ花を見ながら言う。
……まあ、こういうことかい? 詩音。
「綺麗だろう? ウチの庭のヤツなのさ。やっぱり6月は紫陽花さね」
そういうと、あたしは工事現場監督の墓に手を合わせる。詩音も、あたしの横で監督の墓に手を合わせる。
「……あんたの桔梗も珍しいね。白いのもあるのかい? それも涼しそうで良さげだよ」
桶に汲んだ水を杓で掬うと、墓に掛けて墓を清める。……といっても大石が既に掃除しているようだから、ただの格好だけの話。持って来た手拭いで墓石の水気を拭い取る。
「あー、大石のおじさま、ちょっとすみません。お花生けますんで……。お邪魔します」
詩音は大石をさらに端に追いやると、白い桔梗の横に青い紫陽花を添える。
ふうん、なかなか良いじゃないか。青と白が涼しげで……快い初夏の風のようだ。
「偶然にしちゃ、いい取り合わせじゃないか。白に青に、よく引き立てあってるよ」
あたしはスッとぼけて口に出す。
「毎年、私が来ると紫陽花がありましたからね。青い花じゃ相性が悪いと思いまして」
……というわけだ。考えてみりゃ当たり前の話だわね。あたしらの後に墓参りに来ているんだったら、当然、紫陽花に気付いているわな。
風が吹く。あたしと大石の間にある淀んだ空気を吹き飛ばす。とても簡単に。
「とっても良い風……ね? お母さん。──大石のおじさまもそう思いません?」
詩音が割り込むように話す。
「ですねぇ。とっても気持ちいい。身も心も軽くなるようですよ。んっふっふっふっ!!」
いつもの嫌らしい大石の笑い声が、あたしの心に染み込んでくる。
あたしは工事現場監督の墓の方を向く。しかし、墓は何も語らない。
「まったく、ねぇ。今は夏の走りだけど、この時間ならまだまだ涼しい風が吹くねぇ」
大石がわざと大袈裟に驚いて応える。
「あれ、そうでしたっけ?」
「何言っているんだい、ヤボだねぇ。事件追っ掛けるのもいいけど、少しは回りに目を配りな。色んなもんを落っとこしてるんじゃないだろうね?」
大石は、最初は苦笑い、そして一瞬だけ悟ったような顔を見せる。さっきのあたしと同じように、大石は工事現場監督の墓に視線を落とす。──この御仁は大石に何を語りかけるのだろうか?
詩音が、大石の視線に合わせるようにして、手に持つ包みを監督の墓に供える。
大石が気付いたように詩音に問い掛ける。
「その包み。毎年見かけてましたが、中身は何なんです?」
詩音が含み笑いをしながら大石に応える。
「鬼婆特製のおはぎです。酒飲みは甘いのは苦手だろうからって、砂糖控えめだそうですが」
「腹にもたれるぐらいに甘ったるいのもいいけど、こういうのも上品でいいやね。この御仁も気に入ってくれると思っているんだけどねぇ」
「お魎の婆さんが……ダム監督の命日のために、おはぎを握ったと仰るんですか」
「毎年握って供えてるよ。あんた、毎年見てるって今言ったじゃないかい」
大石は呆然とおはぎを見つめる。まだ、納得いかない顔をしている。
あたしは、ヤボを承知で、つい、言葉を吐き出してしまう。
「そんな顔しなさんな。もうさ、そういうのはおしまいにしようじゃないかい」
「……そういうの、とは何のことですかな?」
「園崎家が、監督の墓前に花を供えちゃいけないとか、そういうのさ。確かにこの御仁とはいがみあっていたけど……死んじまったら別の話さ」
口に出して思い至る。そういうことか。
想いが溢れ出す。
「あれから5年も経とうとしてんだ。雛見沢もすっかり静かになった。…………あんたは終わっちまった戦争をずるずる引き摺りたいってのかい?」
大石がかぶりをふるう。
「ご冗談を。もうあんな戦争はごめんです」
「国にも悪いところがあった。反省が必要だね。でも私たちにも悪いところがあった。だから私たちは反省するよ。そして、それはそれでおしまいになったなら、あとはいつまでもぐだぐだ言ってても仕方ないだろ。古い時代を片付けて、新しい時代を作るのが若者の仕事さね」
そうだ。あたしはカタを付けたいんだ。
時代は流れる。世界は変わる。人は自分の誤ちを十分反省したら、また前を見て歩き続けなくちゃいけない。しがらみに囚われて留まり続けるのなら、何の生きる価値がある?
でも、……この御仁はもう歩くことはできない。あたしらも、この御仁と共に歩くことは二度とない。
「不幸な事件があって、この御仁は死んじまったけど。…もし生きてたなら、私ゃ一緒に酒を飲んで全部水に流したいと思ったさ。…でも死んじまった。だから、この御仁とはもう仲直りできない。…………悲しいことさ」
「それが、死別というもんですからねぇ」
ふん、ついお喋りが過ぎたようだ。
「でも、あんたは生きているじゃないかい」
大石はあたしを見る。あたしは大石を見る。あたしたちは生きている。まだ歩き続けることができる。
「さて、ちょっと時間をかけちまったようだね。あたしはそろそろ行くことにしようか」
大石がハッとしたような顔をして、手に残る紫陽花を見ながらあたしに問い掛ける。妙に勘の良い奴だよ。ホント。
「もしかして、…………別のお墓にもお参りを?」
……まあ、良いか。全部吐き出しちまうことにしよう。
「北条の連中の墓もここにあるんだよ。まあ、外れにある無名墓だけどね。あいつらもいけ好かない連中だったけど、死んじまえばみんな同じさ」
そこまで言って、今さらながら残されたしがらみのことに思い至る。未だに残る北条家との確執。鬼婆さまが“オヤシロさまの祟り”にあわないための生贄。何のことはない。『園崎家』でも未だにダム戦争が終わっていない、つうことだ。
……まったく、あたしがこんなに鈍感だから、魅音や詩音に苦労をかけるのかねぇ。
「そうですか……」
大石はそういうと、静かに物思いに耽る。あたしは沈黙に耐えられなくなり、つい軽口を叩く。
「今度……そう、綿流しが終わった後にでも差しつ差されつ遣らないかい? うちの亭主も一度話をしたいって言ってたしさ」
大石が意外そうな顔をしてほほえむ。
「良いですね。……私も綿流しが終われば退職を待つばかりの身ですから。昔を懐しむのも悪くは無いでしょう」
あたしは照れ隠しに踵を返すと、挨拶もそこそこにその場を立ち去る。詩音があたしの後を追い掛ける。
詩音はあたしの顔を覗き込むと、飛び切りの笑顔をあたしに投げ掛ける。ホント、憎々しいモンだよ、この子は。あたしは詩音の頭を乱暴に撫でてやる。
風が吹く。
大石というしがらみが風とともに流され、北条というしがらみが風に曝されて浮かび上がる。
まだ全部にケリはついちゃいない。鬼婆さまはもう諦めているようで……魅音の代に全てを託すつもりでいるようだけど、そんなことをしちゃいけない。これはあたしらが──鬼婆さまの代でケリを付けなきゃいけない話だ。詩音の顔を眺めながらそう思う。
……でも、どうやって? 事態がここまでこじれてしまっては、生半可な手打ちではケリは付かない。『オヤシロさまの祟り』に取り憑かれている鬼婆さまも動くことができない。雛見沢の住民たちも心を開くことはできない。……『北条』は今やそこまで重いものになってしまった。これも『園崎家』のせいなのだろう……ほんと、反省しなくちゃねぇ。
あたしに何かできるのだろうか……。あたしは北条家の墓に至るまでの間、繰り返し自分に問い掛け続けた。