ひぐらしのなく頃に 神落し編
2007/08/13_043333魅音1
「失礼します」
私はそういうと、古手神社にある集会所の大部屋に入った。
大部屋の一角に、けっこうな人数が輪になって座っている。もう明日に控えた綿流しの準備のための最後の打ち合わせ。ここには綿流し実行委員会の中心人物──雛見沢の長老たち──がいた。
輪の中にいる村長が、私に声をかける。
「お、来たね来たね。おやおや、学校のお友達も一緒かい? 一体どう………………」
圭ちゃん、レナ、梨花ちゃん、羽入、詩音と続き──みんなの最後になる形で沙都子が大部屋に入ると、水を打ったような静けさがあたりを支配する。
私たちは、ちょうど私たちの向かいに村長が来るように輪に体を押し込むと、そのままその一角を奪い取る。村長たちは、まだ状況が飲み込めていない。何もできずに呆然としているだけだった。私と沙都子は、みんなを背にする形で正座する。
長老たちを相手に行う大博打を前に、私はゆっくりと深呼吸する。ここの長老たちを説得できれば、それで全てが上手く行くだろう。全てが動き始めた今となっては、すべてを駄目にする危険を犯してでも打つ価値のある博奕だ。
私たちは短い時間ながらも十分な準備を行った。全員洗いたての学生服に着替えて身嗜みを整え、何をするのかという目的とどうやって行うのかという段取りを確認し、みんなの心を一つに合わせる。村長たちとは心構えが違う。勝てるはずだ。私はそう思い込もうとする。
長老たちは異様な雰囲気に飲まれ、足掻くこともできない。私たちは長老たちの出端を挫く形で上手く主導権を奪うことができた。私は背筋を伸ばし、村長と対峙する。
輪のそこかしこからざわめきが起こる。悪意に満ちた低いうごめき。私は逸る心をなだめながら強い声を絞り出す。私の低く太い声がざわめきを押し潰す。
「少しみんなにお願いしたいことがありまして、不躾とは思いましたがお邪魔させて頂きました」
村長が私の言葉の終わりを掴まえて、割り込むように話し始める。何かとんでもないことが起こる不安に顔を曇らせている。
「おいおい、今日は一体どうしたんだい? みんな揃って。小さい子供までこんな夜遅く引き回しているのはあんまり感心せんなぁ。そ 「いえいえ、大丈夫ですよ。公由さん。大して時間は取らせません。明日の話はこの後にしましょう」
私は村長の話に被せるように言葉を置くと、そのまま様子を見る。
村長の表情には怒りの表情は見えない。少し呆気に取られたようにしてこちらを見ている。
悪くない。まだ私のターンが続いている。向こうも聞く気にはなっているようだ。私はもう一歩前に進むと、芝居がかった仕草で腰を下ろす。
「今日は」私は直截的に言う。「ここにいる沙都子のことでお願いに参りました」
質問が出て来ない程度の間を置く。
「皆さんもご存知だと思いますが、ここにいる沙都子は、過去のダム戦争の推進派の北条夫婦の娘です」
みんなの神妙な顔を見ながら言葉を続ける。
「──ダム戦争の当時、北条夫婦は私達と対立し、反発的な行動をしておりました。それは雛見沢の団結を綻ばせる、とても危険なものでした」
長老たちが控え目に頷く。
「私達死守同盟は、北条夫婦を叩くことにより雛見沢の結束を強め、政府に対抗するための力としました」私は沙都子の横で臆面もなく言い放つ。「これは強大な政府に勝つために必要だったことであり、私自身、何ら後悔することはありません」
先ほどと同じように、長老たちが控え目に頷く。回りの見回す振りをして、沙都子を様子を見る。毅然とした力強い態度で立っている。まだ崩れる様子はない。
実際、北条夫婦が推進派に回ったのは、………………死守同盟としては良かったことだ、と考えることがある。金と仕事が与えられれば立ち退きしても構わないと考えている住民──潜在的推進派──を死守同盟に引き付けるには、私達の持つ飴はあまりにも少なすぎた。政府が素早く手を回して引き抜きを始めていたら、雛見沢の世帯数はあっというまに半減していただろう。政府の傲慢なやり方に怒っていた住民たちも、冷静になれば損得勘定を始める。バラバラになってしまえば、私達に勝算はなかった。
私達に有効な手段はあまり残されていなかった。残されていたのは、恐怖と暴力。──オヤシロさまの祟りと、園崎家の力。潜在的推進派の頭を叩き、台頭しないように抑え付けるしかなかった。
そして、……そのデモストレーションの対象として、協調性が無く、また打たれ強い北条夫婦はうってつけだった。
もし北条夫婦ではなかったら……多分、他の人間だったら、逃げ出すように引っ越ししたり……場合によっては一家で心中を図るという最悪の結果もあったかもしれない。もしそうなっていたとしたら──死守同盟にとって大きなマイナスイメージになることは避けられない。早い段階でそうなっていたとすれば……マスコミを利用してイメージ戦略を取っていた死守同盟の致命傷になっていたかもしれない。
「そして、私達の死闘の結果、ダム開発の凍結が発表されました。ダム戦争は私達の勝利で終わったのです」
私達の勝利。…………いや、そんなことはない。
未だに思うことがある。あれは勝てるはずのない戦いだった。
ダム工事の現場監督の殺害。あのバラバラ殺人事件は死守同盟に致命傷をもたらす事件になるはずだった。常軌を逸した反対運動の果ての殺人事件。部外者からすれば雛見沢の狂気にしか見えないだろう。──たとえ雛見沢の住民が手を下していないとしても同じことだ。死守同盟が妨害工作で犯人である工事作業員達を狂気に追い込んだ、と言われればそれまでのこと。そして、死守同盟が──雛見沢が犯罪的な集団と世間から烙印を押された時点で、私達の負けは確定していただろう。
……しかし、結局、何も起こらなかった。
殺人事件の調査は警察により入念に行われたが、それでお終いだった。ゴシップ誌に下らない記事が載ることもあったが、私達が恐れていたようなネガティブキャンペーンになることはなく……まるで予定調和だったかのように……一年後にダム開発が凍結された。
……今ならわかる。梨花ちゃんの話を聞いた今ならば。結局、これは私達とは関係のない意志……『東京』と鷹野の望むシナリオ通りに事が進んだだけなのだ。…………雛見沢の反対活動も、バラバラ殺人も関係なく。
腹の奥にどす黒いものが湧き上がるのを感じて、私は雑念を振り払う。──何を考えているのだ。私は。
今は目の前に集中しなくてはならない。
「そう、ダム戦争は私達の勝利で『終わった』のです」私は『終わった』を強調して繰り返した。「ダム戦争は終わったのです──ダム戦争が終わったからには……私達は、かつての、ダム戦争の始まる前の平和を取り戻さなくてはならないはずでした」
何人かの勘の良い長老の顔が曇る。私は気にせずに言葉を続ける。
「理不尽に立ち退きを要求した国に打ち勝ち、平穏な生活を……ダム戦争が始まる前の平和を取り戻す。それこそが死守同盟の目的でした。そして、ダム戦争に勝利した私達は、当然その平和を手に入れているはずでした」
長老たちの顔に苦渋が浮かぶ。悲しみ、苦しみ、……そして恐怖。その表情は勝利者のものではなかった。
何故? ──わかっている。結局、平穏なんて訪れてはいない。
村長が、長老たちを代表するように声を上げる。
「一体、何を言っているんだ…………ダム戦争が終わってから、雛見沢は、……のんびりしたもんじゃないかね。平和じゃないか」
同意する細い声がどこからとなく湧き上がる。
私は長老たちの顔を睨めるようにして見回す。目を伏せた長老たちの顔に浮んでいるのは、やはり恐怖だった。
「いいえ」私はきっぱりと否定する。「ダム戦争を経て──雛見沢は………私達は歪んでしまいました。雛見沢が生き残るためとはいえ、雛見沢の住民同士をいがみあわせ、疑い……疑心暗鬼をもって雛見沢の人々を押さえ付けた報いを、私達は受けているのです」
私達は鬼となり、敵と戦った。北条を贄に晒し、住民たちを恐怖で縛り付けて勝利を勝ち取った。でも、それはダム戦争が終わると同時に元に戻るはずだった。雛見沢は──私達は元の生活に戻ることを望んでいたはずだった。
しかし、人々の心に植え付けられた恐怖が──『オヤシロさまの祟り』を恐れる鬼の心が、それを許さなかった。
『オヤシロさまの祟り』と、雛見沢に深く根を下ろした疑心暗鬼。雛見沢の鬼たちが、未だに生贄を求めてさまよっている。雛見沢のみんなは、ただ首を竦めて『オヤシロさまの祟り』が過ぎ去るのを待っている。
そして、ここにいる老人たちも同じだった。
怯えるような、諦めるような、嘲けるような、嗤うような……何とも言えない表情をして凍り付く老人たち。
私は老人たちの表情に──とても────とても不快な感じを受ける。──この表情が、去年、悟史をあそこまで追い込んだ。そして、今度は沙都子を追い詰めようとしている。私の中に突如として激しい怒りが沸き起る。
……しかし、…………わかっている。この怒りは、あのときの悟史の苦しみを知りながらも助けることのできなかった自分から目を背けるための逃げだということに。…………わかっている。あのときの悔しさ、悲しさ、恥ずかしさ──もう二度と繰り返したくはない。
長い沈黙が続く。長すぎる沈黙。私は少し慌てて言葉を継ぐ。
「これは、けっしてオヤシロさまが望んでいる状態ではありません。ご存知の通り、オヤシロさまは住民たちが憎しみあうことを望みません。鬼ですらも赦し、互いに共存する道を選んだのは、他でもないオヤシロさまなのです」
できるだけ優しい口調でそう語りかける。
しかし……長老たちの反応は無かった。
私はその反応に苛立ちながら、言葉を続ける。
「私たちの願いは、歪みを直し、──沙都子を含め──みんなで仲良く平和に暮らすこと。ダム戦争を本当の意味で終わらせ、オヤシロさまの望む鬼も人も共存する世界にすることです」
しかし…………長老たちの反応は無かった。
沈黙が続く。反発も……ざわめきすらもない。ゆらめく幻を前にしてただ独り語っているような、そんな手応えの無さ。私は調子を変えるため、わざとらしく大きく深呼吸する。
「いえ、そんなに大した話ではないのです。私たちが皆さんにお願いしたいのは、とても簡単なこと。今日からでもできることなのです。────沙都子が皆さんに挨拶したら、無視をしないで挨拶を返してほしい。たったそれだけのことなのです。──沙都子もいいね?」
「………………わたくしからも、おねがいするのでございますわ」沙都子が正座のまま手をついておじぎをする。「わたくしは、雛見沢のみんなに嫌われていてもかまわないと考えていたのですわ。いつかにーにーが来てくれる。にーにーがむかえに来てくれる。雛見沢のみんなに嫌われても、にーにーさえいればそれで構わない。そう考えていたのですわ」
そう語る沙都子の姿はあまりにも小さく弱々しいものだった。本心からそう思っていたのだろうか? それとも、そう諦めていたのだろうか?
「しかし、──それこそがいけないことだと、わたくしは、みんなから教えてもらったのですわ。嫌われてもかまわないと考えているからこそ、わたくしは雛見沢のみんなから嫌われていたのですわ。──それは、にーにーも望まないことだったのですわ。────ですから、わたくしからもおねがいするのですわ」
しかし………………長老たちの反応は無かった。
長老たちは相変わらず視線を落とし、身動き一つしようとしない。
長老たちの態度を見て、私は頭に血を昇らせる。
無視しようというのか。私たちの願いを。
無視しようとしているのか。私達の歪んだ世界を。
沈黙で拒絶すれば、また変わらない明日を迎えられると考えているのか。もう永くない時間を平穏に過ごせれば問題ないと考えているのか。
そう考えて、私は絶望する。
私は、考え違いをしていたのかもしれない。────この老人たちには『明日』など要らないのだ。『明日』は、この老人たちのものではないのだから。必要なのは『今日』だけなのだから。
梨花ちゃんは立ち上がると、そのまま沙都子の横に座り、沙都子と同じように頭を下げる。
梨花ちゃんのその姿は、深い悲しみと嘆きに彩られているように見えた。
梨花の動きに合わせて、背後のみんなが頭を下げる気配を感じる。私も遅れて頭を下げる。
「ボクからもお願いするのです。沙都子はボクの大事な友だちなのです。大事な友だちが苦しんでいるのはつらいのです。ボクからもお願いするのです。沙都子があいさつしたら、皆もあいさつを返してほしいのです。そしてそれは────オヤシロさまの願いでもあるのです」
羽入だけは頭を下げていない。“オヤシロさま”として威厳を保ちながら言葉を受ける。
「僕が望むのは雛見沢の平穏なのです。ダム戦争はすでに終わったのです。祟りなど僕は望まないのです。──そう、皆が心配する『オヤシロさまの祟り』などというものは、ありもしない幻なのです。だから、皆が恐れることはないのです」
しかし………………………………長老たちの反応は無かった。
梨花ちゃんの力も、羽入──オヤシロさまの言葉も、老人たちの沈黙を破ることはできない。あれほど老人たちに可愛がっていた梨花ちゃんの言葉にも、あれほど崇め奉っていたオヤシロさまの言葉にも、老人たちは応えようとしなかった。
沙都子と関わらないということが、それほど重要なことなのだろうか? たとえ梨花ちゃんの信頼を裏切ってでも、沙都子とは……“北条家”とは関わりたくはないのだろうか。
『オヤシロさまの祟り』というものは、それほど恐ろしいものなのだろうか? オヤシロさまが直々に否定したというのに、その言葉も信じられないのだろうか。
レナが、大部屋の沈黙を斬り裂く大声で叫ぶ。
その声は──狂気に染まっていた。私は、レナを落ち着かせたほうがいいことに気付いていたが……この状況を打破できるのではないかと淡い期待をもって、そのままレナに叫ばせた。
「村長!!!!! なに黙っているの!!!? 私たちがこれほどお願いしているというのに、私たちを見ようともしないの?? これがあなたたちの礼儀だというの? オヤシロさまも望んでいないというのに、そんなに『オヤシロさまの祟り』が怖いの? ダム戦争? そんな昔話はどうでもいい。私は沙都子ちゃんとみんなが仲良くしているところを見たいだけ! 年寄りの都合をレナたちに押し付けないで!! ───聞いているの!!!」
しかし…………………………………………長老たちの反応は無かった。
レナの無礼な物言いも、老人たちを奮い立たせることもなく……上滑りするだけだった。
長老たちにとっては、『明日』の希望も、『昨日』の誇りも、もはやどうでもいい。ただ目の前にある『今日』を食い潰すのが願いなのだろう。つまりは、そういうことなのだ。私は悲しくなった。結局、目の前にいる老人たちは、頼るべき仲間ではなく──打ち倒すべき敵だったのだ。
しかし──今となってはもうできることは残されていない。あとは、負けを認めて退くか、このまま一方的な睨み合いを続けるか、あるいはこの場をぶち壊すか……。多分、このまま膠着状態が続けば、レナか圭ちゃんが暴走してこの場をぶち壊すだろう。
失敗した…………そうだ、失敗したのだ…………。
短い時間ながらも準備を行った。進行も特に問題なかったはずだ。──だが、老人たちは殻に閉じこもり、とても簡単な──それこそサルでもできるような提案を受け容れようとしない。私は、成果を焦るあまり、老人たちを見誤ってしまったのだろう。信頼してはならない相手を信頼してしまった。何という愚かさか……。
長い沈黙が続き、……無限とも思える時間の後で、板の打ち付ける音が空気を切り裂く。戸が開き、向こうに人影が現われる。
その人物を見て、村長の顔に安堵の色が現れるのを私は見逃がさなかった。
多分、私の顔は恐怖で引きつっていただろう。長老たちとは反対に。
「おやおや、これは珍しい組み合せだねぇ。こんな夜分に一体どういったことだい?」
そこには、母さんと、……婆っちゃの姿があった。