ひぐらしのなく頃に 神落し編
2007/11/12_010852詩音1
「だああああああ!!!!」
診療所の廊下。私は自分の座っていた椅子を力まかせに叩きつける。鉄パイプ製の椅子は壊れもせず跳ね回るだけだった。大袈裟に響き渡る衝撃音が私の心を逆撫でする。
「詩音さん!!」葛西が後ろから羽交い締めにする。思い通りにならない身体。私は怒りを葛西に叩き付ける。身体を大きく捻ると、葛西はバランスを崩して宙に放り出され、そのまま廊下を転がっていく。柱に背中を叩き付けてうなだれる葛西を見ても、私の気は晴れなかった。
当たり前だ。私は怒気に眩んだ頭で考える。当たり前のことだ。私は自分の間抜けさに怒っているのだから。梨花が病室から抜け出した────いや、逃げ出した。
何故??…………敵の手から逃れるためだ。
危険なのは私達にもわかっていた。だから、ここには私と葛西がいた。中にはさらに組の手練れが数人と、外にもさらに何人かが詰めている。お互いをカバーできる位置で二人一組の見張りだ。さらには入江から受け取った診療所の詳細な地図を分析し、それぞれの要所は確実に押さえたし、また入江の権限を活用して、診療所の警備…………小此木の手の内のものは病室から遠ざけている。お姉の考えた、私達のできる最善の一手だったはずだ。
しかし……私は宙に浮ぶ虚ろな瞳を思い出す。あの女…………!! 鷹野は私達の護りを擦り抜け、梨花の病室に入り込んでいた。暗い病室の中で、鷹野は私────いや、私達のことを嘲笑っていた。その歪んだ口元は、私から正気を奪い去る。
私は再びパイプ椅子を振り回す。先ほどの音に驚いて集まった組のものが取り囲んでいるが、私の振るうパイプ椅子に躊躇して近付くことができない。
多分、……多分、私達の最善の一手を台無しにしてしまったのは……私なのだろう。ベットで眠る梨花と沙都子。私はその姿を見ると、病室の灯りを消した。鷹野の待ち焦がれていた暗闇が、……そこに現れた。────何と愚かなことだ
振り回すパイプ椅子はようやっと望み通りにひしゃげてくる。しかし、私の心は晴れない。晴れるはずもない。私はパイプ椅子を叩き投げる。
ゆっくりと跳ね回る椅子。
物陰から飛びかかる人影。
私は腰にしがみつくその人影を、右の拳で薙ぎ払う。
拳に伝わる小さい、柔らかい感触。
────沙都子が、私に弾かれて転がっていく。
どすん、と廊下の柱に背中を叩き付ける沙都子。
あの勢いでぶつかったのでは、しばらくは動けないだろう、と私は思った。
しかし、沙都子は再び立ち上がる。
ヨロヨロと、とても弱々しく私の方に歩いてくる。
私は、痺れたように身動きが取れなくなった。
どん、と沙都子が私の腰にしがみつく。
ぶるぶると震えているのを感じる。
私は──手のひらを広げると、ゆっくりと沙都子の頭に載せる。
沙都子は一瞬ビクッと身体をこわばらせるが、それでもそのまま私のなすがままにさせている。
────何をやっているのだ? 私は沙都子の頭を撫でながら考える。私は、一体何をやっているのだ? 怒りに我を忘れ、無駄に暴れて時間を潰し、さらには葛西と沙都子を傷付けて……。泣きたいのは、怒りたいのは、叫びたいのは沙都子ではないのか?
しかし、沙都子は力強く私を支えている。私のように取り乱すこともせず。脆く弱い私を支えてくれる。私はその強さに励まされる。
「────ありがとう、沙都子」私はゆっくりとそう言う。「もう、大丈夫」
回りに立ち尽す組の者を掻き分けて入江が、そしてその後ろにはお姉と部活のメンバーが続いてくる。
私はできるだけ心を落ち着けて、できるだけ力強く言葉を絞り出した。
「すみません。お姉。鷹野がこの病室に入り込みました。梨花ちゃんは鷹野から逃れるために外に逃げ出しました。鷹野を捕まえることはできませんでした」
私は深呼吸する。
お姉が顔を青くしているのがわかる。多分、想定外の状況に、お姉の弱気の虫が出ているのだろう。しかし、お姉の弱気を許している時間はない。
「お姉の力が必要です。お姉でなければダメなんです。助けて下さい」
私はお姉の震える手を力強く握り締めた。