ひぐらしのなく頃に 神落し編
2008/03/31_231047魅音3
園崎本家の広間。
私は机を並べると、手に持つ地図をその上に広げる。
誰にも気付かれないように静かに深呼吸をする。
沙都子が心配そうに私の顔を覗く。私は沙都子の頭を軽く撫でる。
広間の片隅で、詩音がレナと圭ちゃんに状況の説明をしている。羽入は見つからない。入江も見当たらない。
私たちは、あのあとすぐに診療所を抜け出してそのまま園崎本家の屋敷に移動した。すでに梨花ちゃんがいない以上、あの場に留まる利点は少なかった。確かに移動する時間は貴重だけれども、敵地──『東京の転覆派』の拠点の中に居続けるリスクは犯したくなかった。しかたない。ただ、時間のロスは最低限に済ませることができた。呆然とする私を尻目に詩音が上手く立ち回ってくれなければ、いまだに診療所の中でもたついていただろう。
遠くで葛西の声が聞こえる。葛西が園崎組の手下を連れて現れる。詩音は圭ちゃんたちへの説明を中断し、二言三言指示を出す。私はその詩音の姿をとても頼もしく感じると同時に、……少し胸を締め付けられるような感触を覚える。もし、……もしも…………いや、止めておこう。そんなことよりも、今は目の前のことに集中しなくてはならない。
葛西は詩音の言葉を受けて、私の近く──地図から少し離れた机の片隅に無線機を設置し、携帯無線機を並べる。さらにその横に、私が地図を持って来るときに忘れた文房具一式を置く。私はさっそく大き目のカラーマグネットを地図の主要地点に置いていく。カラーマグネットはカチリと地図にへばり付く。私はその時に初めて机が鉄製だったことに気付く。
────広い。
雛見沢の地図を目の前にして、私は思う。そう広くない山間に散在する住宅。細々と繋がる道。……そして地図の多くを占める田畑と──山。
この広大な雛見沢の中から、逃げ回る梨花ちゃんを捕まえなくてはならない。…………捕まえられるのだろうか? 私には確信は持てなかった。だが、捕まえなくてはならない。さもないと……………………………………さもないと……………………
………いや、目を逸らすのは止めよう。たとえそれが最悪の可能性だったとしても。
そう、できるだけ早く捕まえないと、梨花ちゃんが死ぬ。
そうだ。死ぬんだ。可能性はかなり高い。
診療所の病室に残された空の注射器。それを見たときの入江の狼狽。
問い詰めてようやっと吐き出させた言葉。
『雛見沢症候群を強制的に末期発症させる薬』
──────あぁ。そうだ。梨花ちゃんは今、狂気に冒されようとしている。早く捕まえないと雛見沢症候群の作り出す疑心暗鬼に心を焼き尽されるか、あるいは自ら喉を掻き毟るか。梨花ちゃんは今、雛見沢症候群の作り出す妄想に追い立てられ、闇に沈む雛見沢を逃げ回っているのだろう………………いや、
いや、…………違う。目を逸らしてはいけない。たとえそれが望まない可能性だったとしても。思わず膝が笑う。私はわざとらしく振り返ると葛西の置いた椅子を引き寄せて腰掛ける。まだ震える膝を無理矢理押さえ付けると、再び地図に向かう。
違う。梨花ちゃんは逃げ回っているんじゃない。────死に場所を求めているのだ。誰も見つけ出せない、──少なくとも48時間以上は見付からない場所。『自衛隊の殲滅作戦』の“『女王』の死後48時間以内に感染者全員が末期発症する”という仮定を否定する手段の一つ。
もし、そうだとすると、なんと────愚かなことなんだろう。
もう、手遅れなんだ。私はカラーマグネットを主要地点に置きおわると、今度は梨花ちゃんの捜索の手駒として使える人員を見積り始める。
梨花ちゃんは判っていない。たとえ死体が見付からなくても、今となっては大した話ではない。診療所に入院していた事実。急激な体調不良。そして失踪。────『女王』の異常を示す十分な証拠。これだけあれば、梨花ちゃんの死体の有り無しにかかわらず、『女王』が危機的状況にあることを結論付けることはそんなに難しいことではない。そして、もしそこに『梨花ちゃんの死体を発見した』との“連絡”があれば────真実である必要はない。それらしい情報であれば十分だ。きっかけさえあれば、全ては再び回り始めるだろう。
確かに強引な方法ではあるが────。しかし、梨花ちゃんの失踪は『東京の転覆派』に対しても二択を付き付けてしまった。『自衛隊の殲滅作戦』を強引に実行するか、作戦自体を闇に葬るか。延期するという選択肢はありえない。作戦を再開するために必要不可欠な『女王』が失われようとしているのだから。そして“終末作戦”の実現を望む存在──鷹野さんが、この千載一遇の機会を逃すはずがない。
『東京の転覆派』はどちらを選択するだろうか?
私には判らなかった。
人員の見積りが終わる。希望的観測も含めて見積ったにもかかわらず、それでもなお足りない人員。でも、これで何とかするしかない。
「詩音」私は葛西と話をしている詩音に声をかけると椅子から立ち上がる。「圭ちゃんもレナも来て」
葛西と沙都子も含めた6人で地図を囲う。私はテーブルに積まれた携帯無線機の周波数を合わせ、全員に配る。ホルダーとイヤホンの取り付け方や簡単な使い方を教えると、実際にお互いに通話してもらう。
「時間が無いから細かい所は説明しないけど、これで通話はできると思う。他のところをいじくっちゃダメだよ。電波の状態によって聞き取れなくなることもあるけど、その時は諦めて」
この無線機による情報こそが私たちの命綱になるんだけれど…………仕方無い。
「まず、詩音」私は詩音と葛西の方を向く。「雛見沢のみんなと一緒に山狩りを行って。葛西たちも一緒に。場所はここと、ここ、……ここを、こうたどって」私はテーブルの空きスペースにもう一枚地図を広げると、比較的安全な地域に矢印を書き込んでいく。安全だが、……とても広大な地域。
「その範囲だと────とても人手が足りません。全てを確認するのは無理ですね」詩音が口を挟む。
「うん、判ってる。雛見沢中のみんなを掻き集めてもたぶん足りないだろう。──だけど、それでもやらなきゃいけない」私は頭を上げる。詩音の冷たい表情。「ただ、山狩りするときは、できるだけ賑やかに騒々しく歩いて。遠くに居てもわかるように。みんなに鳴り物を持たせるといいね」
詩音の言葉を遮って葛西が補足する。
「つまりは勢子ですね。洩れ目無く追い立てるのが私たちの仕事です」
「うん、……そう。梨花ちゃんを──追い立てる。こんなことをするのは心苦しいんだけど、一刻も早く梨花ちゃんを掴まえるためにはこうするしかないんだ。梨花ちゃんは正気を失っている。たとえ私たちと出会ったとしても、私たちの言葉にも耳を貸さずに逃げ出すと思う」
「────わかりました。お姉」詩音が葛西に目配せをする。「雛見沢の皆さんには、鳴り物の件を『お互いに所在がわかるように音で知らせあう』と説明しましょう。大石さんたちはどうします?」
「連絡して構わないよ。上手く活用して。ただ主導権は取られないように気を付けて」
「了解。お姉」
そういうと、詩音は振り返りもせずに広間を飛び出す。葛西は地図を持ってその後ろを追い掛ける。
「次は沙都子」私は沙都子の方を向くと、詩音がまとめてくれたバッグを沙都子に手渡す。「これで支度をしてから裏山に向かって。あそこは沙都子しか入れないところだから、沙都子にしか頼めないんだ」
沙都子はバッグをチラリと見ると、一瞬だけ怪訝そうな顔をする。しかしすぐ合点した様子で私に応える。
「わかりましたのですわ。すぐに裏山に向かいますのですわ」
「とても危険なことをお願いするけど──」
「大丈夫なのでございますよ。確かに危険なのかもしれませんのですが、……確かにこれは、わたくしでなくてはできないことなのですわ」
「くれぐれも慎重にね。さあ、支度して」
沙都子が広間から飛び出していく。
「魅ぃちゃん。私たちは何をすれば良いのかな、かな?」
レナと圭ちゃんが私を見つめる。私は少し深呼吸をして地図を見る。
まだ調査すべき地域は多く残っている。だが、その全てを確認することはできない。
選択。間違いかもしれない選択。梨花ちゃんを助けることができないかもしれない選択。だが、私は選択しなくてはならない。
「二人にはここに行ってもらいたいんだ」
私は全ての可能性の中から一つ選び出す。
鬼ヶ淵沼。鬼たちの発祥の地。全ての始まりの地。
私は二人に目配せをする。二人は静かに頷く。
「多分、梨花ちゃんはここにいると思う」
直感めいた確信はある。たぶん間違いないだろうという感触もある。
しかし、それでも私はその言葉を信じることができなかった。
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